🚀 親という名の多忙な戦士たちへ
日々の生活の中で、仕事、育児、家事という複数の責任を担っている方々には、心から頭が下がります。
これらの役割は、一つひとつが重く、その負担は目覚めている時間のほぼ全てに及びます。
専業、共働き、シングルの方、それぞれの立場で、求められる作業量は膨大です。
朝は、時間との戦いです。子供たちを起こし、朝食を出し、身支度を手伝い、決められた時間に送り出す。
このわずかな時間の中で、スケジュールは常にギリギリであり、子供の体調不良や急な忘れ物といった予測不可能な事態が、容赦なく計画を狂わせます。
日中、職場へ出れば、プロフェッショナルとして成果を出すことが求められます。
業務に集中していても、「夕方までには帰らなければ」「夕飯の段取りは」といった家庭内のタスクが頭から離れることはありません。
そして夕方、お迎えから帰宅後、待ったなしで料理、お風呂、寝かしつけが始まります。
疲労がピークに達していても、子供たちの世話を最優先し、栄養や安全に気を配りながら、親としての役割を果たし続けなければなりません。
これら全てを高い水準でこなし、あるいはこなそうと努力している皆さんの頑張りは、外からは見えにくい、地道で継続的なものです。
しかし、この地道な努力こそが、家庭という基盤を支えています。
まずは、この途方もない日常のタスクを毎日回しているご自身を、ねぎらっていただきたい。
その努力は、他者からの評価に関わらず、非常に価値のある事実です。
🌪️ 主夫の焦燥感と「見えない仕事」の重圧
さて、私自身、ここ数年「主夫」という役割を担っています。
外から見れば「時間の融通が利く」「自分のペースで仕事をしているのだろう」と誤解されがちですが、実態は大きく異なります。
主夫、主婦として家庭を維持することは、基本的に「終わりのないタスク」を引き受けることを意味します。
オフィスワークのような明確な「定時」はなく、「成果」も数値化されにくい。子供が寝静まり、リビングが片付き時が、かろうじて一日の区切りとなる程度です。
特に主夫という立場では、時折、「自分が社会との接点を失いつつあるのではないか」という、漠然とした不安感に襲われます。
かつては、組織の中で貢献し、昇給や昇進というわかりやすい評価指標がありました。
しかし、家庭内の労働には、そうした外部的な評価軸が存在しません。
子供たちの成長は大きな喜びであり、家庭内の平穏を保つことは最も大切な仕事です。
しかし、これが「誰でもできる仕事」だという感覚に陥ることがあります。
もし自分が倒れても、妻や外部のサポートがあれば、家庭は回っていく。
この「代替可能である」という感覚が、自己の存在意義を揺るがす瞬間があるのです。
もちろん、これは自分の意識の問題であることは理解しています。
家族のために尽力している事実は変わりません。
それでも、深夜、静まり返った部屋で、翌日の準備をしているとき、ふと立ち止まってしまうのです。
これでいいのだろうか、と。自分の個人的なキャリアや成長は、これで本当に止まっていないのか、と。
これは、育児や家事という役割を軽んじているのではなく、むしろ、それらが人間の生活において不可欠な活動であることを理解しているからこそ、その「目に見えない労働」の重さに息苦しさを感じるのです。
この重圧は、肉体的、時間的な疲労に加え、精神的な負担として蓄積します。「やらなければならないこと」と「自分が個人的にやりたいこと」のバランスが崩れ、自己肯定感が揺らぎ始めるのです。
多くの方が、こうした感情を共有しているのではないでしょうか。
目の前の日常をこなすことに必死で、自分の内面と向き合う余裕がない。
自己犠牲の上に成り立っている生活だと自覚しながらも、状況を変える具体的な手立てが見つからない。
こうした状況は非常に厳しく、孤立感を伴うこともあります。
💡 再起動と「雑記」という名の逃避行
このような日々を過ごす中で、私は一つの結論に達しました。
それは、何が何でも自分の時間を確保して好きにさせてもらうということです。
そして、この焦燥感を解消するための一つの手段として、このブログを再始動させることにしました。これは、育児や家事の「正解」を教える場ではありません。また、他者からの共感を目的としたものでもありません。
このブログは、「雑記」として運用します。文字通り、雑多な記録を残していく場所です。
疲れた頭で考えた抽象的なこと。 最近惹かれている趣味や興味。 読んだ本の感想。 観た映画の批評。 仕事で培った技術的な考え。 子供たちとの何気ない瞬間。 そして、この「主夫としての不安感」のような、内面的な感情の吐露。
これらを、日記のように、メモのように、自分のペースで、書きたい時に書き綴っていきます。
これは、誰のためでもなく、自分自身の精神的な健康を保つための試みです。
日々の役割から離れ、自分の思考や感情を「アウトプットする」時間を意図的に作る。
それは、私にとっての「逃げ場」であり、「心の回復作業」です。
私と同じように、仕事や家庭の責任に追われ、自分の内面を疎かにしてしまった方へ。
この「雑記」は、あなたの問題を解決するヒントにはならないかもしれません。
しかし、一人の人間が、日常の重圧の中で、それでも自分自身を保とうともがいている記録として、もし、何かしらの共感や、わずかな安堵を提供できれば、幸いです。
更新頻度は、不定期になります。書く義務感に縛られることは、この「雑記」の趣旨に反します。
🎯 それぞれの戦場で戦うすべての人へ
育児は難しい。仕事も難しい。生きることは、根本的に困難を伴います。
しかし、その困難と向き合い続ける姿勢こそが、私たちの強さだと思います。私たちは人間です。感情があり、疲れるし、不安になります。そうした感情は、自然なものです。
どうか、自分自身を過度に追い詰めるのをやめてください。
「頑張る」という言葉は、時に無理を強いるプレッシャーになりがちです。
時には立ち止まり、休憩し、自分の心と体が本当に求めている声を聞いてください。
そして、自分自身のために、小さな「雑記」の時間を持つことを許容してあげてください。
それは、読書でも、音楽鑑賞でも、散歩でも、何でも構いません。
「役割」ではない、「自分個人」としての時間を、意識的に確保する。それが、長く、健康的に、この大変な日常を乗り越えていくための方法だと、私は信じています。
私も、このブログの再始動を通じて、自分自身のペースを取り戻していきたいと思っています。
それぞれの立場で日々を懸命に生きている皆さんが、少しでも安らげる瞬間を持てるよう、願っています。

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